訪問看護ノート 1999.7.21/cn19990721-1 五十嵐 直敬 「旦那心」 Date: Wed, 4 Mar 1998 14:08:39 +0900 (JST) Message-Id: <199803040508.OAA06851@userweb.fsinet.or.jp> From: yamaguchi <*******@fsinet.or.jp> To: interlov@imasy.or.jp Subject: [interlov 1188] 旦那 福岡のALS患者山口です。 以下は今年還暦を迎える老人の戯言です。時間に余裕がある方は読んで下さい。 山東@大阪さんのメールを拝見していて「旦那」という言葉を想いました。 旦那という語は現在の日本語ではあまり良い意味で使われていませんが、 その語源となったインドの古い言葉であるサンスクリット語のDANA(ダーナ)は(他人に)与えるという意味です。 仏教を取り入れた中国人がこれを音訳して旦那、意訳して布施としました。檀家、檀那寺という語もその関連語です。 また、DANAは現代英語の donor(ドナー)= (臓器)提供者と語源を同じにしています。 ですからもとをたどれば「旦那」イコール「布施」イコール「ドナー」ということになります。 布施という語も我々は随分限られた意味で使っていますが、もともとは相手に何か(必ずしも物、金に限定されず精神的なものも含まれる)を与える事によって自分が救われた気持ちになる様な行為を指します。 決して檀那寺に物、金を寄進するという意味だけではないようです。 宗教評論家の「ひろさちや」氏は布施について次の様に明快に解説されています。 混んだ電車でヨボヨボのおばあさんが乗ってきたときに可哀相だと思って席を譲ってあげるのはあくまでも小さな親切であって布施(旦那)ではない。 今日も良いことが出来た。おばあさん座っていただいてありがとう、と思うことが出来たらそれが布施(旦那)なのだ。 もしそのおばあさんが礼も言わずに座ったとしても、あなたの行為が布施(旦那)から出たものであったなら決して腹は立たない。 これを読んでなるほどと思ってからもう15年以上になります。 しかし、私のような凡人には布施(旦那)の心を持ち続けるのは至難です。 毎日が反省反省の連続です。 *以下略* ----------------------------------------------------- / *******@fsinet.or.jp   / 福岡県宗像市**** ****** 山 口 進 一 -----------------------------------------------------