1. ひと枝の春・柿の木と摩天楼越しの青空
始めて私がMさんのお宅に伺った時、もう先にT訪問看護ステーションのS看護婦が来ていました。今日は私の訪問看護の初出動、渋谷区委託の難病訪問看護「夫」として、Mさんの申し送りと顔合わせのため、待ち合わせしていたのでした。
Mさんは初老の紳士・・・ ですが、脊髄小脳変性症でかなり振戦が強く、寝たきりになっていました。ベッドからちょこっと、お辞儀して挨拶してくれました。
「これから頭洗うところなんですよー」
とS看護婦は言いました。
「手伝いますー」
と言ったはいいものの・・・ ここ、タタミの部屋だよ!? フロじゃないよ!? どうするって??
S看護婦は、何やらゴミ袋とバスタオルで作り出しました。ただただ見つめる私。
「奥さーん、お湯下さい」「はーい」
出てきたのは・・・ヤカンとバケツ!
いつのまにか、ゴミ袋とバスタオルは、ロールにしてドーナツにしたバスタオルが袋に入って、ケリーパッドになっていました!
「へぇぇー、こうするんですねぇー」
ただただ感心。で、ヤカンは?
「Mさんいいですかー」
S看護婦はゴミ袋のケリーパッドをMさんの頭の下に入れ、ベッドのヘッドボードを外して、ヤカンのお湯をMさんの頭にじゃぼじゃぼと・・・
「Sさん、湯加減どうですかー」と奥さん。
「グッドですよー」
S看護婦は手際良くヤカンでMさんの頭にお湯をかけながら、洗髪してしまいました。
すっきりした、満足げなMさん。
どうも社長だったとかで、さっぱりしてくしけずると、なかなかダンディーなもの。
そういえば、下の車庫にBMWが・・・ 似合うなー。いいなー。でも不治の難病か・・・
「あとー、Mさんは仙骨に褥創があるので、処置しますー」
S看護婦はそうして、Mさんに横向きでベッド柵につかまってもらうと、摂子を、ヒビテンが入ったコーヒーの瓶から取りだし・・・
えぇーーー。声はさすがに出さないけれど・・・ 滅菌パックじゃないんだ。
「じゃ、ノートつけときますねー。あ、これ連絡ノートなんで、何かあったら書いてくださーい」
S看護婦は枕元のノートに、簡単に処置の記録。
「じゃ私たち、一足お先に。」
案内のO保健婦が促して、私たちはMさん宅を出ました。
初っ端から、驚き桃ノ木。
でも、工夫が一杯・・・
それが私の、訪問看護の初出動、でした。9月、まだ暑い、渋谷の住宅街のことでした。
次の春。私はMさん宅に向かう途中でした。
Mさん宅の裏手には、桜並木があります。途中の公園や、消防の施設の周りにも、そこかしこに桜。折しも、満開!
「そうだ、ひと枝持っていこうか」
私は思いついて、Mさん宅をちょっと行きすぎて、桜並木へ。しかし時間が・・・
「あ、間に合わないかなー」
でも、家から出られないMさん、桜の花みたら喜ぶだろうなー。
私は桜並木で、手が届いて、ちょうどいい塩梅の枝を物色し始めました。
しかし、「桜の枝は折るな」と昔から言います。なんとなく、辺りを気にしているうちに・・・
「あ、時間過ぎた。まずいなー」
そうはいいつつ、どうせ遅れたからもう腹くくって、いいとこ持っていこうじゃないか。
私は人目をちょっびり気にしつつ、垂れ下がった枝からひと房、桜の花を折り取りました。
「ヨーシ、GO!」
一目散にMさん宅へ駆けこみ、15分遅刻!
「すみませーん、遅れましたー。あ、これ、とってきたんですけど、良かったらどうぞ!」
桜の枝をMさんの目の前にかざして。
Mさんの目が、じっと桜を見つめる。
・・・次の週。
「S看護婦さんにもねー、見せたのよー きれいだねって皆で言ってたのよー」
奥さんがにこにこと言いました。
もう二、三輪だけ残った桜が、枕元の瓶に咲いていました。
ひと枝だけの小さな春、Mさんの春でした。
初夏。
Mさんの庭の柿の木が、もえぎ色に葉を繁らせていました。
「うちの母がですねー、あの柿の若葉で押し寿司をくるんで、”柿の葉寿司”にするんですよー」
などと言いながら、私はふと気付きました。
庭と柿の木は東側。Mさんは東枕。当然、Mさんには柿の木は見えない!
病人はベッドで白い天井ばかりを・・・とかどこかで聞いたような一節が頭をよぎる。
「あ、見えないですよね・・・ そうだ、お庭見てみましょうよ、たまにはー。奥さん、ベッド動かしていいです?」
お庭見てもらいたい! あのもえぎ色に燃える、命の躍動が風に揺れる柿の若葉を!
突然の私の言葉に、二人ともちょっとびっくりしたようでした。前代未聞のことの様子。
ベッドのキャスターはボール紙の下敷きにめり込んでいて、外すのにちょっと時間がかかりました。ともあれ、ロックを外して・・・ ぐるん!
「ほら! すごいきれいな葉っぱでしょう! 今年は柿、あたり年でしたかねー?」
柿の木の合間からは、新宿副都心の高層ビル街がそびえていました。そして、その向こうに少しだけ、ちょっと灰色気味だけど、たしかに青空。私にはちょっと不思議な風景。でもMさん達には、慣れ親しんだ原風景、故郷の空・・・
食い入るように見つめるMさん。そばにたたずむ、奥さんと私。
しばらくして、ベッドは定位置に戻りました。
それから少し後・・・
私は、渋谷区保健所委託訪問看護「夫」を辞めることになりました。
だから、あれからきっと、Mさんは青空を見ていないのかも・・・
でも、一番いい部屋で、きれいなパジャマで寝ているMさんは、病気だけどやっぱり、「大切な人」でいるのだと思います。ベッドの左、障子を開けたら、塀のお花が見えますよー。
2. 胸に秘めた希望、一瞬きらめいて
Sさんは、ちょっと変わった家に住んでいます。渋谷保健所を辞めて1年半後、R訪問看護ステーションで再び訪問看護「夫」に舞い戻った? 私は、S看護婦に連れられてSさん宅に着きました。
「えー、この三角帽子みたいなのが、おうちですかー!?」
広い敷地の真ん中に、三角帽子・・・正確には、四角錐のコンクリートの建物が座っていました。うーん、信じられない。
「隣の隣に、妹さんが、お寺みたいなおうちに住んでるんですよー」とS看護婦。またまたびっくり。
鉄の格子戸をがらがら開けて、自転車をお庭に入れて、玄関のガラス戸(これもお店みたい!)を開けて、
「こんにちはー、ステーションですー」
・・・
特に答えもなく、S看護婦はずんずん家に上がっていく。慌ててついていく私。
ワンルーム風のフロアのドアを開けるとそこが寝室でした。大きな白い、毛が抜けかけた秋田犬がやってきました。座敷犬! でかいなー。
「こんにちはー」
「あ、どーも、こんにちは」
そこにはベッドに、痩せて小さくなったおじいさんが寝ていました。
「どーもお世話さまです」
出迎えるでもなく、にっこりするでもなく、身なりのいい眼鏡のおばあさんが洗濯物など、となりのベッドでたたんでいました。
「いかがですかー」
「相変わらずです」
「あそうですかー」
何だか張り合いのないような・・・
S看護婦は、一通りバイタルサインをさっさと計りました。
「じゃ今日はどうしますかー」
「今日は向こうに行きますか、あなた」
奥さんがSさんに尋ねました。
「今何時?」「11時過ぎ」「じゃ行こうか」
そんなわけで、私たち訪問ナース二人は、Sさんを車椅子に乗せて、奥の食堂に行くことになりました。
そこで気付きました。Sさんの背中は、丸く丸まってしまっていました。足も、硬直して曲がりません。足の長さも少し違っています。カリエスのために、骨が蝕まれてしまっていたのです。
「昔カリエスをやりまししてねー、随分入院してましたよ。結構若い頃だったんですけどねー。足はかたっぽ、膝の関節をとっちゃったんですよ」
とSさんが後で話してくれました。
で、私たちはSさんに車椅子に乗って頂き、食堂へ。
玄関のちょうど反対、四角の反対の辺にあたる食堂は、とても日当りが良い部屋でした。そして向こうに、またまた広い庭、埋め尽くす盆栽、その向こうに何やら色々、その向こうにどどーんと大きな木。家の倍くらいもありました!
「まあ、かけてくださいよ」と奥さん。
で、何を・・・ と思いきや、お勝手から戻った奥さんはおもむろにお茶を入れ出しました。そのうち、お勝手から別のおばさんとおじさんがやってきて、席に着きました。ちょっとした家族会議の様相。
「さどうぞ、おせんべいもどうぞ」
私たちにお茶。Sさんは探るようにして湯のみを取り。緑内障で、目がほとんど見えないらしい。
「見えないとは絶対言わないんですけどねー、明るい暗いと、色くらいしか見えないみたいなんですよ」と、これもあとで奥さんから聞きました。
ともあれ、お茶会が始まり。その辺の世間話し。S看護婦はほとんど聞き役。
Sさんの話し方はちょっと独特で・・・ 何というか、やや断片的な感じ。でも、場はそれなりに和やかでした。
そのうち、
「じゃ 私たち、そろそろ失礼しますんでー」
S看護婦が切りだし、私も追いかけSさん宅を後に。
「あのー、Sさんの所って、いつもあんな感じでお茶のんでるだけですかー?」
帰り道、私はS看護婦に尋ねました。
「そうですねー、そのときで浣腸したり清拭したりしますけどねー」
とS看護婦。もともとのーんびりした感じの方なのですが、看護内容ものーんびり・・・
何か、お茶飲みにいったみたい。いいのかなーこんなんで。
Sさんは、随分激動な人生を送られた・・・と、それから折々にお話しを伺いました。お茶しながら。
Sさんのお宅には、四季折々、玄関口にも庭にも家の中にも、草花が絶えません。ちょっとくたびれているときもありますが・・・
「Sさんて花屋さんだったんですよー、だから花があるんですー」とS看護婦から聞きました。近くの駅前の、結構大きな花屋だとか。
Sさんの所で清拭すると、いつもとんでもなく熱いお湯がたらいに出てきます。熱すぎるくらいの方が、冷めないので拭かれる方は気持ち良くて良いのですが、それにしてもしぼるのが一苦労でした。
「シベリアに抑留されましてねー、そのとき、あの木の種を持って帰って、庭にまいたら、あんなに大きくなったんですよ。だから、あれソ連の木。」
庭の向こうの、巨木のことでした。何か灰色っぽい幹の、ちょっと魔女のほうきっぽい姿の木。半分が枯れかけていました。もう、何十年もたっているとのこと。ソ連から持ち帰ったから、ソ連の木。なるほど。
時々、爪も切ったりします。
「わたしら、年よりは目が悪いんで、人の爪きるの怖いんで助かります」といつも奥さん。
時々、お腹の張り具合を見て浣腸もします。Sさんは、割合はっきり、便が大腸にたまるとお腹から触れられるので、その様子で浣腸すると、大抵いい塩梅のがでました。結構、ご本人は「浣腸せねばいかんのかな」という意識があったようなのですが、私は出るところにモノを突っ込む不自然なことはなるべくしたくないので、いつも様子を見て、わざとタイミングを遅めにします。Sさんは、割合いきむと自力排便がすっきりできるので、無理に早くださないで便が適度に形になる頃合を見計らったほうが、すっきり出るし余計なことも少なくて済むのでは、という考えです。
「このあたりって、道が縦ばかりで、横の道がないでしょ。昔、開墾したときの農道の名残なんですよ、畑の中の道だから、大きな道ないの」
戦後帰国して、落ち着いたのが、当時はまだ未開の、この地。
「昔はね、家も全然なかったですよ。夜なんか真っ暗。鼻つままれてもわからないですよ、ははは」
色々な作物を作ったらしい。そして花屋に。
激動の時代を切り抜け、開墾に励むさなか、命も危ぶまれた大病。結核でした。
「昔は近所にマーケットがありましてね、そこにも店を出して、仲間が大勢いたんですけどね」
いつしか、畑は住宅街になり・・・
時はすぎ・・・
体はもう、ぼろぼろになりながらも、Sさんは働き、開拓し、生き延びた。
昔のことを語るとき、Sさんからは、開拓者としてのプライドのようなものを感じました。
「Sさん、退院したときは鼻に管入って意識もいまいちで、こんな良くなるなんて誰も思ってなかっですよー」とS看護婦。半年で鼻の管が抜け、食事し、話せるようになったと。
「はじめ、結構不穏になったりしてたんですけどねー。処置してもパニックして暴れてたし」
不穏・・・には全然みえないけど。
「今なんか、私たちより、ラジオのニュースなんかきちーんと覚えてるんですよ」と奥さん。
「夜は、3時頃から起きて、たまに、よく分からないことをいいますけどね。夢でもみてるんですかね」
ともあれ、何より、近所の兄弟が、もう総出で世話していました。だからといって、悲壮感もなくぎすぎすもせず。あたりまえ、に介護している感じ。話すことも、あたりまえのこと。
食べるのだけは、ちょっと手づかみしますけど・・・
食べられることの方が、大事。管の食事よりは。何で食べても、おいしければいい。
見ていて、そう思いました。本当に、楽しそうに、おいしそうだったから!
それが・・・ 楽しい食卓、お茶の間、家庭が、家族が、奇蹟的な回復のエネルギーだったのかなーと気付くのは・・・そう、ずっとずっと後。
「昨日ね、リハビリの先生きたんですよ。脇支えてもらって、立つ練習しましてね。今度は、歩行器とかやってみたいんですよ!」
突然、Sさんがいいました。いつになく、元気良く。
「え?」
思わず軽く声を上げた私。なぜなら少し前、そのリハビリの先生から・・・
「Sさんのリハビリなんですけどね、減らしてもいいですかねぇ? もうあれ以上そんなに良くはならないし、それなら、もっと行ってあげたい(リハビリで機能回復・向上が図れる)方が沢山いるんですよ」
一日飛び回ってやっとステーションに戻り、看護記録の最中に捕まえられ、突然、引導を渡されてしまったのでした。
「え、私としては、これまで通りリハビリしていただきたいんですけど・・・」
理学療法士は困ったような表情で、向こうへ行ってしまいました。
そんな事があったので、それに・・・
Sさんの背中は、カリエスで変形してエビのように曲がっています。膝も硬直しかも片方は膝関節自体なく足が短縮、足も尖足気味。立つのがやっとです。正直、車椅子に移るために、ちょっとだけ爪先で立ってもらえればいい、あとは現状維持と運動のため・・・私もそんな感覚でした。
だから、ちょっと意外だったのです。
Sさん、こんなにリハビリに期待していたんだ。希望を持っていたんだ。歩けるようになりたいって・・・
こんな体だから、年だからって、勝手に決めつけてた・・・
曲がった背中、小さくなった体からは不釣り合いなほど、ちょっと枯れていますが不思議に通るSさんの声が、私をぱん! とたたいたような気がしました。
夏。私はステーションを辞めることになりました。
なかなか言い出せなくて、結局最後になってしまいました。
「すみません、今日で最後なんです・・・」
いつもは私、カラ元気なくらいなんですが、今日だけは消え入りそうな感じ。顔もうつむいてしまう。
「皆さん元気でいて下さいね。いつも、おいしいお茶、ごちそうさまでした」
ちょっと思いを残しながら、でも振り切るように食堂を、Sさんのお茶の間を出ようと、Sさんの脇を通ろうとしたとき・・・
「五十嵐さん!」
聞いたこともないほど、力強い声。パッと、勢いよく差し出された手。
節くれた、ごわごわの手。
この手が、私たちが住む、この土地を作った手なんだ・・・
力一杯握りしめました。
職場がかわって、電車で駅を通ります。
”フローリストS”の看板、きっとあれが、Sさんのお店だ。
聞いて確かめたわけじゃないけれど、きっとそうだと分かります。
そして、この街を作った人を知っていることが、すこーし、嬉しい気持ちになります。
3. あなたが教えてくれる
「地域看護してるとねー、いろいろビックリすることがあるのよー、私なんか一度、家の中にペンペン草はえてるお宅に伺ったことがあるのよー」
看護学生時代、先生がそんなことを言っていました。
そこまでじゃなかったけれど、保健所の訪問実習では、古い公団の団地に布団や荷物を積み上げて、その谷間で寝起きしている痴呆の方を訪問したりしました。世の中、まだまだ大変な人もいるんだなー。
Nさんは、脳硬塞の後遺症によると思われる痴呆で、寝たきり、言葉もほとんどなし、経管栄養チューブが鼻から入り、尿道バルーンカテーテルも留置、褥創ももちろん仙骨にいつも数個、おまけに手足の皮膚に水疱が次々にできる類天疱瘡という皮膚病で、ステーションの患者さんの中でも一番の重症でした。対する介護は、事実上奥さん一人。週に一度、大学病院のナースも巡回、訪問看護が週三回、車で移動式浴槽を持ってきてお部屋でお風呂に入れてくれる移動入浴が週一回、結構フルに使える制度は活用しているのですが、皮膚処置もあるために、介護は相当大変なものになっていました。
そして、始めて訪問した時。林のほとりに、コンクリートと木がごっちゃになった、くたびれた感じの家。狭い玄関を上がって、
「あれ。ここって押し入れ?」
ちょっと口には出せなくて、後で他の看護婦に聞きましたが、Nさんが寝ている所は、押し入れを改造した小部屋でした。押し入れに、ちょうど電動ベッドが収まって、天井に裸電球。どらえもんみたいだー、と一瞬結構内心はしゃいだのですが、すぐに問題が発覚!
「ベッドに片側からしか近寄れない。体交が大変!」
ベッドが左側で壁にくっついているので、右側からしか近寄れません。そのため、こちら向きに体交するとなると、なかなか大仕事なのです。というより、頭使わないとこちらの体が壊れるパターン。しかも処置が多いので、一回の訪問であっち向いたりこっち向いたり、何回も体交します。
それは技術の問題なのでいいとして・・・
「Nさんの奥さんはね、結構自分のやり方にこだわる人だよ。”自分”も強いよ。私なんか何度も泣きながら帰ってきたよ」
Nさんの担当ナースが、初っ端から私にそう申し送りしました。顔もこわばってる。それだけ聞くと、Nさんの奥さんて相当なツワモノ?と 良くないのですが早くも先入観。
言った通り、何回と訪問しないうちに、私と奥さんは険悪になりました。
Nさんはそのころ、排便の状態が良くなく、出なかったり、出ると下痢が続いたり、奥さんはその世話に大変な労力を使っていました。奥さんは小柄で太めで膝が悪く、特にベッドが体交しにくいので、負担は余計増します。そんな介護の日が続くうち、奥さんの精神状態は相当張り詰めてきていたようでした。
ある日、私が浣腸して摘便したとき。まだ慣れない処置に追われ、時間もなく、浣腸して十分待つ時間が泣くすぐに摘便してしまいました。それまで(たまたま)出ていたのですが、その時はほとんど出ませんでした。それで、腰の褥創を消毒してガーゼをあて、おむつを付けようとしたとき・・・
「あ、出てきちゃった・・・」
今ごろ、浣腸がきいてきてしまいました。
「もういいよ、帰んなよ、あんた次があるんでしょっ!」
いつもは膝が痛くてあまり動かない奥さんが立ち上がり、険しい顔でベッドに来ました。
「あのー、やっていきます」
「いいわよ、私やるから! ちゃんと浣腸したあとまたなきゃ、駄目に決まってるでしょ!」
すごい剣幕、すごすごと私は引き上げました。
それから何回かの訪問の後、Nさんは気管支炎で二ヵ月ほど、入院してしまいました。
その期間がちょうど「介護休暇」になってゆとりを取り戻せたのか、訪問を再開したとき、奥さんは随分マイルドでした。
「消毒はね、綿棒を裏返せば2回できるでしょ。」「こっちを消毒してから、体交してあっちをやれば、一回ですむでしょ」「ベッドを思いきり下げるのよ、そしたら向こうがのぞきやすいでしょ。」
いつの間にか、奥さんは私が処置するそばに座って、いろいろ用意したり、教えてくれるようになっていました。
「Nさんの奥さんはねー、自分のやり方、気分がすごくあるよ。機嫌がいいと”お茶どう”なんていうし、わるけりゃね」
担当看護婦はやはりこわばった顔でいいました。
そのうち私も”お茶”を勧められました。買い物の話し、友達の話し、昔、運転手だったNさんに連れて言ってもらった所のこと・・・
「別に、そんなすごい人でもないと思うけどなー」
確かに、怒られて辛かったときはあるけれど、こうして話せばふつうの人。
担当看護婦の話しだと、ずいぶんNさんには苦労させられたらしい。それが70にもなろうというときになって、何もかも世話することに。憎い人。でも好きだった人。複雑な思いが、きっと交錯しているんだろうな・・・
始めは処置に追われていた私も、奥さんの手伝いとアドバイスのおかげで、なんとか多少余裕を持ってケアできるようになってきていました。一時間半の中で、バイタルサインチェック、胸や腹の聴診、簡単に清拭、摘便、手足薬浴、褥創処置、水疱処置、関節の運動・・・
しかし、手足や耳たぶに次々にできる水疱は、なかなか良くなりませんでした。
「ステロイドを内服すれば治療できると思うんですけど、在宅ではねー」という話し。年齢からして、副作用の方が心配のようでした。奥さんに頑張ってもらうしかないのかな・・・ いつまで持つか。
奥さんの精神状態の方は、”奇蹟的”に安定していました。
そして・・・ 暖かくなってきて、水疱が少し減ってきたような気がしました。
「もう、軟膏はいいんじゃない? 手のひらに水虫もできたでしょ、薬混じりそうだし」
奥さんがいいました。
水疱は良くなった。でも、今まで何度も再発してきた。皮膚にはきっと素因がまだある。ここでいきなりステロイド軟膏をやめるのは・・・ 少なくとも、処方は継続している。やめるべきではないな。薬は、基剤の種類からして、順番に塗れば大丈夫・・・だけど、奥さんにはあまり理屈はこねないでおこうかな。
一瞬、”奥さんは自分のやり方にこだわるよ、それが奥さんの生きがいみたいな所もあるんだよ”という担当看護婦の言葉が思い浮かびました。でも、介護を大変にしている元凶、この水疱さえ良くなれば・・・
「奥さん、予防の意味で、うすーく、塗っときましょうよ。水虫の薬とは、まざらないようにきちんと塗り分けしますから」
一瞬、奥さんの表情が固まりました。が、
「あんたの好きにしなよ」
幸い、私のアセスメントが正解だったのか、もともと改善傾向だったのか、Nさんの水疱はほとんど出なくなりました。何個もの毎日の水疱処置がなくなり、奥さんの介護負担もかなり減って、そのせいか奥さんの精神状態は”今までないほど”長い間、安定していました。
「水疱、ちょっと小さいのできたけどねー、すぐ消えたよ」
「あんたはいつもていねいに手足洗ってくれるよねー、それから水疱良くなったよねー」
奥さんはにこやかでした。
私も結構おっちよこちよいなので、消毒の順番を忘れたり飛ばしたりします。すると奥さんが合の手を入れてくれます。
「あ、すみませーん」
以前なら絶対、「やんなくていいよっ!」だったと思うのですが。
あるとき、手作りのつみれ汁をごちそうしてくれました。ちょうど昼前、お腹もすいていて、本当においしかった。
「鰯をね、私がごりごり丸ごとすって作ったんだよ」
自慢そうに話してくれる奥さん。豪華ではないけれど、おわんからはみ出るほど盛られたつみれ。奥さんの「自分」と心づかいが、つみれのようにごろごろ混じって転がった、ちょっびり意味深な、でもうれしい一杯でした。
「奥さんは、あなたに教えたり準備して世話するのが、自分の役割って思えるようになったのかもねー」と担当看護婦。
そうかも知れない。最初ギクシャクしていたけれど、ぶつかりあい失敗し怒られ成功した中で、いつのまにかでき上がった互いの役割。どちらが欠けても、ちょっと足りない。実際、在宅療養もできない。
夏、汗をかく、皮膚にはハードな季節になっても、水疱はできませんでした。
夏の終り。Nさんともお別れです。
最後と知ってか知らずか、奥さんが買ってきてくれたアイスを食べながら、ちよっとお話し。
Nさんの奥さんは小さな庭にたくさん、山野草を育てていました。四季折々、かれんな花。
「あ、あんたこの花知ってんの。息子が買ってくるんだよ」
花のことを聞くとうれしそうに答えてくれます。一見粗野にも見えるし人はそう言うけれど、そんなこと、ない。こんな可憐な、繊細な花を育てる人なんだから。
やっぱり、挨拶は突然、最後になってしまいました。本当はいけないんだけど。
「あんたはねぇ、仕事がすごくていねいなんだけど、それで手際が悪く思われたりもするよ。適当に手を抜いてやることも、覚えるといいと思うよ」
悪い膝をいつものように投げ出して、今までにないような、やさしい目で。
あなたが、教えてくれてたんだ。
ナースだからって、私が教えるんじゃなくて。
あなたは、人生の大先輩だから。あなたの大切の人のことを、誰よりも知っているから。
あなたの大切な人のための、看護だから。