桜吹雪が舞う道を

4.相思相愛以心伝心・Uさんは立ち上がった

 Uさんは80歳過ぎの、見た目おとなしそうな小柄で少し太めのおじいさんでした。時計職人だったとかで、小さいながらも一軒家を構え、今は奥さんと二人で住んでいました。
「Uさんはアル中の後遺症のせいらしいんですけど、精神障害があるようなんですよ」と、前の担当ナースからは聞かされました。早く言えば、頑固で言うこときかなくて、リハビリもやる気がないということです。Uさんはいつの頃からかベッドから降りなくなり、今はトイレも寝たきりの生活になっています。別に大きな身体的障害はないのですが・・・ ともかく、小柄な奥さんだけが介護していて、少しでも介護負担を減らそうと、起立・ポータブルトイレ使用のためのリハビリが行われていました。
「今までずっとリハビリしてたんですけどねー、いつもあと少しで、というとこまでくると、必ず眩暈を訴えて、逆戻りしちゅうんですよ」と、担当ナースは言いました。職員の間では「あの人アル中だからね」と、あきらめというか、投げやり倦怠ムード。ともあれ、私が担当ナースになることになりました。

 始め、確かにリハビリはいまいち進みませんでした。筋肉は十分あるし、関節の拘縮もないので、本人さえやる気になれば、きっと起きられるし立てるはずなのですが・・・ ベッド柵につかまり起きあがる練習をすると、「ああ眩暈がする、戻してくれ戻してくれ」とヒステリックに言い、戻ってしまいます。眩暈の原因になりそうな異常は、特にないはずなのですが・・・
 骨太で肉付きの良いUさんを介護する小柄な奥さんの負担はかなりのようでした。腰痛をいつも訴え、時には訪問しても「すみませんね・・・」と横になっていたりしました。このままでは、奥さんが参ってしまいます。お子さん達も、Uさんのことをあまり良く思っていないようで、介護の助けにはなりません。奥さんが倒れたら、Uさんの在宅生活は最後なのです。

 そうこうしているうちに、本当に奥さんの具合が悪くなってきました。
「先生に、手術しようかどうしようか、て言われたんですよ。でも主人がいますから・・・」と途方にくれる奥さんでした。
 以前も、奥さんが倒れないように、ということで、Uさんには「奥さんをたまには休ませてあげましょうよ」と、ショートステイを勧めていましたが、その話をすると返事もせず拒否します。どうも、そのまま老人ホームにでも送られてしまうのでは、という思いもあるようでした。とにかく、入院もショートステイも絶対拒否。
「普通、介護してる奥さんがやばいよ、て言ったら分かるはずなんだけど、分からないんだよね」と、MSWのTさん。「分からないというか、話はうんうんと聞くけど、最後にじゃ分かった、と聞くとだめなのよね。話が話しにならないのよ、それがアル中で精神がおかしいってことなのかなぁ」
 職員の意見は一致して、「Uさんには理屈は通用しない」でした。

 そして、いよいよ奥さんの腰痛がひどくなってきました。これは、何が何でもUさんにはショートステイして頂くしかない。
「先生の診断書まで見せて、ショートステイいってくれないと、私が倒れるよ、て言ったのに、やだ、て言うんですよ」と奥さん。
 こうなったら、引きずってでもUさんにショートステイして頂いて、奥さんの腰を治さなければなりません。でないと、結局Uさんの在宅生活は終わってしまうのです。一時の嫌々で、肝心の「家にいる」ことをパーにしては意味がありません。何がUさん自身にとって一番大切なことなのか、考えるべき時なのです。
 そして5月頃のある日、私はUさんにそのお話をしました。
「Uさん、奥さんの腰はもう限界です。今治さなければ、Uさんのお世話もできなくなってしまいます。わかりますよね」「うん」「奥さんが動けなくなったら、Uさんもホームにでもいくしかなくなります。そうなるのも分かりますよね」「うん」「だから、今奥さんを休ませてあげて治療できるように、少しの間ですからショートステイに行ってください」「・・・」
 どうも、いつもの調子。話は分かるといいつつ、肝心なところで・・・
「じゃあ、奥さんが倒れて、Uさんがホームに行くしかなくなっても、いいんですか?」
「いい」
「じゃあ勝手にして下さい」
 最後は、演技半分、本心半分でした。結局、理性ではなくて、自分の快不快、好き嫌いで物事を考える。これではどうしようも・・・ Uさんに対して、ネガティブな感情が湧き上がるのを感じました。
 それから、奥さんと電話で話したと思います。
「段取りつけて迎えの人が来てしまえば、いやいやでも行くと思いますから・・・」ということで、ほとんど強制的に、Uさんのショートステイの段取りをすることになりました。
「行きたくないて泣いて言うかと思ったんですけど、何も言わずに行きました」と、Uさんが行った後、奥さんから聞きました。

 確か1ヶ月ほど、Uさんにはショートステイして頂いてと思います。結局手術はしなかったのですが、「最初の数日はもう寝たきりでしたけど、随分良くなりました」と、奥さんは顔も晴れやかになっていました。
 Uさんのリハビリの方は、「もう本気でやるのはやめようよ」ということになりました。私としては「なんか違うな」と思ったのですが。そして、Uさんが帰ってきました。

「自分で起きられるようになって帰ってきたんですよ」と、帰宅後最初の訪問で、奥さんがうれしそうに言いました。
「え」と思わず。ともあれ、自分で起きてみて頂く事にしました。
 今までの眩暈とヒステリックな態度がうそのように、Uさんはベッド柵につかまり、すうっと、起きあがり自力でベッドの端に座りました。表情も心なしか微笑んで。
 一瞬、どう反応すべきか迷いましたが、「わー、Uさんすごいですねー、自分で起きて座れるようになりましたねー」と、思いきり笑顔で言いました。あれだけリハビリしても「目が回る」といって起きられなかったのに、帰ってきたら起きられるようになってた。本当に感激ものだったのです。私の中の不安、Uさんへの否定的感情が、吹き飛んでいきました。Uさんもまんざらではなさそうでした。何度かベッドから起きあがり動作をして頂きましたが、ナースが手をださなくても、自分ですうっ、と起きあがれました。今までの眩暈がうそのように・・・

 考えてみれば、今まで皆から「アル中」の烙印を押されていたUさんにとって、ほとんどUさんを知らないホームの人達に「当たり前の、人格を持った一人の人」として接してもらったことは、とても嬉しいことだったのではないでしょうか・・・ また、時にUさんより重い障害を持った方が、自分なりに頑張っているのを目の当たりにする・・・ Uさんの中の何かが、きっと呼びさまされたのかも知れません。そして、ホームでは当たり前だった「自分で起きる」ことが、始めて、家で誉められ喜ばれた・・・
 人は誰でも、自分を良く思われたい、好かれたい、自尊心を持っています。嫌われるより好かれたい。蔑まれるより愛されたい。けなされ責められるより褒められ称えられたい。失われていたそれを取り戻したとき・・・Uさんは変わりました。

 リハビリは驚くほどの進展を見せました。週一回のみの訪問で、行くたびに自力で起きあがり、ベッドの端に座り、その前に置いた椅子につかまり立ちあがり・・・ 次々と課題をクリアしていきました。眩暈は、全く起こりませんでした。私はUさんが何か一つでも少しでもできるようになるたびに、「できるようになりましたね、良かった、私も嬉しいですよ!」と、素直に自分のUさんへのポジティブな気持ちを伝えました。
 私はある日嬉しくて、ステーションの皆に帰りがけにドーナツをお土産に買って帰りました。「五十嵐くんがねー、Uさんが立てたのが嬉しくて皆にお土産買ってきたんだよ」と、前の担当ナースもUさんに言ってた、と奥さんがうれしそうに言っていました。Uさんの表情も、以前とは随分違って穏やかな微笑み。そしてついに匙を投げていた理学療法士も、「ポータブルトイレの移乗訓練をまた始めます」と。自立に向けて、皆の気持ちが変わり始めました。
 否定から肯定へ、倦怠とあきらめから努力と希望へ、ネガティブからポジティブへ。ショートステイから帰ってきた日の、一瞬の出来事から生まれた小さな「好意」、過去の全ての「否定的感情」の「肯定的好意、喜び」への転換、そしてそこから私が起こしたポジティブ・フィードバックの輪。頑張ってくれたから喜ぶ、喜んでくれるから頑張る・・・ Uさんの気持ちが変わり、Uさん自身が変わって行くようでした。

 誰もが投げ出していたUさんは、そうして変わり始めました。しかし、奇跡に近い大きな成果を起こせる心のエネルギーの大きさは、一部の人にはある種の脅威か忌むべきものでもあったようでした。強大な原子力をコントロールすることが難しいのと同様に・・・ そして私は、Uさんがポータブルトイレに自分で座れるのを見る前に、Uさんにお別れすることになりました。

 最後の日、いつも微笑んで私を見送ってくれたUさんの表情は、微笑んではいませんでした。お願いだから残る皆、Uさんに微笑んで、Uさんの些細な「いいとこ」を喜んで、ほめて欲しい・・・ 思う気持ちは通じてゆく、そして人を良い方向へ変えて行くものだから。